ART TRACE 企画シンポジウム
ポスト・ポリティクス ━━ 織田達朗の「戦後」

曹良奎《密閉せる倉庫》(1957)/ 織田達朗「『原爆の図』とその周辺」(1958)
「敗戦という外部から与えられた価値転換の契機を、内発的な契機として、主体的にとらえなおすためには、今日でも敗戦の意味が尋ねられねばならない。私達は、私達の精神史の転換点としての、敗戦に与える意味を生きぬくことに、自己の存在の生き死にがかかっていると考えずに、敗戦後を、従って戦後美術を考えることは出来ない。」
織田達朗「原爆の図とその周辺」
カール・シュミットによれば政治は「敵/味方」の区別からはじまる。敵を対象化することで政治主体は生まれるのだ。つまり、政治とは敵との絶えざる戦いにほかならない。では、戦いの後、すなわち「戦後」に政治は存在するのだろうか。太平洋戦争の敗戦によって崩壊した天皇制的主体を民主主義的主体によって補償する代わりに、政治主体の崩壊そのものを新しい主体の核へと据えたとき、「戦後」は特異な時空間として現れてくる。そこには内面化される政治主体も外在化される敵もいない。そこでは、政治を成立させる仕組みそのものが止揚されるのだ。
1958年に、丸木夫妻の《原爆の図》を検証することから出発した織田達朗は、そうした「戦後」と「戦後美術」について深く思考する美術批評を展開し、「敗戦」という経験を生き続けた。鶴岡政男、丸木夫妻、岡本太郎、松本竣介、曺良奎、中村宏、河原温といった作家を論じながら織田は、非常にラディカルな戦後美術史を構想していく。織田にとって戦後の美術とは、世界に主体的な視座や意味を与えて共有するための媒体などではなく、そうした人間的な主体や意味を徹底的に解体することで物質的宇宙を開示する媒体であるべきものだった。そして織田は、解体された人間=死者が現世を導く還相的な歴史観を構想する。そこにはマルクス主義、シュルレアリスム、仏教思想が入り混じったような非常にラディカルな日本戦後美術史観が胎動している。
今回のシンポジウムでは、三人の批評家、研究者が、歴史観、作品論、言語表現的な観点から織田達朗の仕事にアプローチする。その難解さのためか、今までほぼ研究されることなく残された織田達朗の思想を解明するための第一歩になればと考えている。同時に 織田の研究を通して、現在の文化状況を批評的に考察してみたい。
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織田 達朗(おだ たつろう) (1930-2007) 美術評論家、詩人。日雇労働者として働きながら美術手帖の美術評論募集に応募した「『原爆の図』とその周辺」が一席となり1958年に美術評論家としてデビューする。著書に『窓と破片:織田達朗評論集』(美術出版社、1972年)。2022年に球形工房より『「原爆の図」とその周辺 織田達朗評論選』が出版されている。 |
パネリスト
関貴尚 中島水緒 松井勝正
日時:2024年11月2日(土) 19:00~21:00
会場:アートトレイスギャラリー >> アクセス
参加費:700円
定員:50名(会場での参加)
※本イベントは、オンライン配信(Zoom)の同時視聴でもご参加いただけます。
参加をご希望の方は、こちらからチケットをご購入ください。
会場(オフライン) >>
オンライン >>
お問い合わせ、ご質問につきましては info@arttrace.org にて承ります。
当日はパネリスト3名による発表の後、討議に移行します。
関貴尚「織田達朗——思想としての戦後」
織田達朗(1930–2007)は、現在ではほとんど顧みられることのない忘れ去られた美術批評家です。彼が批評活動を開始した1950年代後半は、戦後復興期を経て高度経済成長期へ突入し、「もはや「戦後」ではない」と宣言された時代でした。
同時に、美術界でも「アンフォルメル旋風」が吹き荒れ、日本の戦後美術が国際的評価を高めつつあった時期に当たります。
織田の思想の核心には、「敗戦」という経験が横たわっています。
彼は青年期に——軍国教育を受けたこの世代の多くがそうであったように——天皇制というみずからが信奉していたイデオロギーが敗戦によって根底から覆されるという経験をしました。
そして、敗戦を境に大人たちが天皇主義から戦後民主主義へと転向していくさまを目の当たりにした織田は、そこに戦中/戦後を貫く体制依存的な心理を読みとります。
戦前の天皇崇拝が、戦後においては平和崇拝にすり替わっただけではないか、という織田の厳しいまなざしは、ひとはいかにして真に自律しうるのかという、今日においてもなおきわめて重要な問いをわたしたちに突きつけています。
織田にとって敗戦とは、人びとが信じて疑わなかった世界が一瞬のうちに崩れ去った絶望的な経験であり、それを安易に回復しまうのではなく、むしろ「価値転換の契機」として主体的に引き受けるべきものでした。今回のレクチャーでは、
いずれも原爆体験をテーマとした丸木夫妻の《原爆の図》(1950)、鶴岡政男の《人間気化》(1953)、岡本太郎の《燃える人》(1955)を論じた織田のデビュー論文「『原爆の図』とその周辺」(1958)を中心に、彼の批評の出発点にあった「戦後」という問題について考えてみたいと思います。
松井勝正「織田達朗の『以後〔ポスト〕』の美学」
織田達朗は1930年生まれ。戦時下教育の中で少年時代を過ごした世代。ちなみに吉本隆明は1924年、針生一郎は1925年、東野芳明は1930年、中原佑介は1931年、中村宏は1932年、宮川淳は1933年に生まれている。
織田は戦後日本で最も独創的な美術批評理論を展開した人物だろう。そこではマルクス主義やシュルレアリスムの理論と、仏教や京都学派の理論が絡み合っている。
織田は「原爆の図とその周辺」において、戦後日本において形成された「主体」を徹底的に批判することから出発した。その後展開していく彼の戦後美術論では「死者蜂起」や「還相」といった奇妙なヴィジョンが打ち出されていくことになる。そこでは現実を変革していく「主体」として「死者」が措定されている。
「死者」とは人間が物質へと解体された先に行き着く境位であり、資本社会において人間疎外が行き着く先に出現するものでもある。近代的な人間疎外を親鸞的な悟りの条件へと逆転させるところに「プロレタリア的人間の物質直感の宇宙性」があり、現代の「還相」理論が成立する。
では、「死者蜂起」や「還相」の媒体としての芸術作品とはどのようなものだろうか。例えば織田の「前作品/後作品」と言う概念をダダやシュルレアリスムの「レディメイド」や「発見されたオブジェ」と比較して考えてみよう。
「前作品」は「レディメイド」や「発見されたオブジェ」のように、観客の主体的な視点によって見出され、意味付けられる潜在的な対象である。そうした観客を主体化させる芸術作品という概念は、ベンヤミンからランシエールまで、近代における「芸術の民主化」の理念を支えてきたものでもある。
では「後作品」とはなんだろうか。それは文字通り、かつて作品だったものであり、かつて発見され、意味付けられていたものである。ひとつの視点によって見出された作品は、やがて複数の視点に引き裂かれ、その意味は飽和し、無意味な物体へと消滅していく。
それは、私たちの視線を死と物質の世界への解放へと誘う媒体でもある。今回の発表は「織田達朗の『以後〔ポスト〕』の美学」と題し、そうした織田の、戦争以後、作品以後、政治以後の美学を考察したい。
中島水緒「織田達朗の詩における「碧虚」と「窓」」
美術評論家として活動する傍ら、詩人としても作品を残していた織田達朗。その詩作品には、「戦後」の時空間を観念的世界から逆照射するような、独自のヴィジョンが圧縮されている。
今回の発表では、織田がライフワーク的に取り組んだ連詩「破片」の一部を紹介する。また、織田が幼少期に経験したある神秘体験(についての語り)、「碧虚(そら)」「窓」といったキーワードを手掛かりに、詩のなかに表現されたヴィジョンにアプローチしてみたい。
「すべての窓が、窓以外の世界消滅の告知の言葉である。」(織田達朗「破片・九」、1969年)
パネリストプロフィール
関 貴尚(せき たかなお) 1990年生まれ。美術史。武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻修了。近年の論考に「ファウンド・リアル——映像経験のパラドクス」(『映像なしの映像経験 Pictorial Experience w/o Picture』、2022年)「イデオロギーとの別れ——T・J・クラーク「グレイ・パニック」を手がかりに」(『ユリイカ』、青土社、2022年6月号)。共著に『政治の展覧会:世界大戦と前衛芸術』(EOS ART BOOKS、2020年)。 |
中島 水緒(なかじま みお) 1979年生まれ。美術批評。主なテキストに、「前衛・政治・身体──未来派とイタリア・ファシズムのスポーツ戦略」(『政治の展覧会:世界大戦と前衛芸術』、EOS ART BOOKS、2020)、「無為を表象する──セーヌ川からジョルジュ・スーラへ流れる絵画の(非)政治学」(『美術手帖』2022年7月号)など。 |
松井 勝正(まつい かつまさ) 1971年生まれ。芸術学。主な論考に「ホワイトキューブの外側」『西洋近代と都市と芸術7』(竹林舎、2017年)、「ロバート・スミッソンのエントロピーの美学」『ART TRACE PRESS 05』(2019年)、「形と色のパラドクス――マティスの原理」『ユリイカ』(2021年5月)など。共著に『現代アート10講』(武蔵野美術大学出版、2017年)、『政治の展覧会』(EOS ART BOOKS、2020年)。共編に『美術批評集成 1955-1964』(芸華書院、2021)。 また、芸術の新しい活用法を考えるグループ、アート・ユーザー・カンファレンスとして活動。 主な展覧会に『Robert Smithson without Robert Smithson』(風の沢ミュージアム、2015)、「未来芸術家列伝IV」(S. Y. P Art Space、青山|目黒、 2017)、「美術館堆肥化計画2021」(青森県立美術館,2021)など。 |